夏風邪に陳皮。
中国整体にぎっくり腰で行った時、隣のお姉さんが、変な検査薬で変な結果が出たと言いまくってた。
本業医療関係者だと思い、医療関係者も病気になるんだと、思ったが。
そのうち、コロナというウィールスが出回ったが、その当時、保険屋でアルバイトをしていて、保険を売るのにみんな一病あったら誰も保険に入れへんやん、疫病流行った時、どうするん、うちら倒産やで、とか、変なことを考えていた。
養老保険もあったんだが、コロナが流行った時、外商が動けなくなってしまい、お金を取りに来て欲しいというお年寄りからの願いが叶わなくなってしまって、コロナが随分と流行った。
父方の祖父は咳や痰に悩まされていたが、祖母が、宣統帝の娘と田舎で自覚していなかったらしく、当たり前のように陳皮を庭で作っていたので、薬には祖父は生涯困らなかったと言う。英語が豪州育ちの為、ベラベラで、祖父の京都大学では訳するエースとして扱われていたとか。
その祖母と母に英検一級を取ったら?と言われたが、そんなに25万円も今なくって、失業保険からお金も降りず、返ってもらいすぎると年金から引かれることを思い出し、なんか、勉強するまでに至らない。
陳皮は、リウマチに効くと生きていたので、持たされる事を許されたのだが、今星状神経ブロック注射を帯状疱疹二回なって、記憶が新しくない為、習ったこともあまり覚えておらず、コロナが流行っても、私の家族三人だけは流行らないと、自慢中。
医療関係者の資格を持っているが、出向先に出向く気も起きず、大叔母の話しによれば、私が医師にならなかったことで、大暴れしたそうで。
単純に言えば、大叔母とゾウとどちらが大きいか、といえば、ゾウなので、ゾウが暴れても困るなと思い、大叔母が暴れても、どうでも良い為、医師になる気は今のところない。
第11波が来ても、私には関係ないと思う。
自分さえかからなければいいわけで。
人口が減ったり、少子化になったり、晩婚化になったり、看護師の数や医師の数が減っても、私には関係のない話であるわけで。
大叔母がいうには、三代続いた医師の家柄の子供が医師になるのを拒否したということは、大ごとであるようで、コロナが流行っても、私が医師にならなかったから、自分と同じ立場の似たような人間が医師にならないのは、自分を否定しているからと思いたくないそうなんだが、私はそこまで双子理論や友引理論はないんで。
コロナが流行ったのは、うちの家の初孫が医師にならなかったからと言う理由を持って歩けるのは、コロナが流行ったのは、ほかの医師の責任にできるから、私の責任ではないと、断言できるからである。
人口減れば、教育機関も閉鎖していかなくてはならないので、教育機関に給与を払う側でもないわけだから、あるとしても、私が医師になる必要は全世界的にまた、日本的に、皇室的に、女子的にないわけである。
なので、女帝天皇もないものと考え、次の天皇もないものと考え、皇室は終わりと考えるのが筋で、隣の国の韓国などが、医療のインターンがデモを行ったと言っても、何も私のところにニュースを流す必要はないわけである。
利他的なことを、排他的な受験戦争に話をすり替える必要はなく、必要でないと言う世の中なのだから、教育機関、医療機関にお金を払う必要は全然必要ないわけである。
いらないものはいらないと言わなくてはならない。
日本人が日本の島国で滅んでも私にはちっとも関係ないわけである。
アメリカに永住すればいいわけで。
大陸的に。
って。
赤ちゃん訳
1990年ごろ、ウゴウゴルーガというのが流行った。
そこで、ミカン星人というのが、りんごちゃんと出てくるのだが、而して、このミカン星人、一切否定的なセリフしか吐かないのである。
なんでも、幼少期のトラウマで、みかんに成人した時、自分はマーマレードになるつもりだったんだが、フランス人の手から、間違って中国人の手に渡ってしまい、最後には陳皮として一生を終えたと言う不思議な母親の経歴を持つらしくって。いつまでもブツブツ言っていた。
ミカン星人は、ついていくよ、と言うセリフがお決まりなのだが、あまり好かれると、皮を剥がされ、大事な薄皮は陳皮として人間の手に渡ってしまうことを恥じており、いつまでも嫌われミカン星人であることを望んでいる。
セリフをよく聞いてみると(youtubeにのっている)チンピラと、自分の仲間である八朔や文旦のことを罵っていた。
なにか、無償に水が欲しくなり、飲みたくなくなる、それが陳皮だ、と、京都大学医学部医学科次席の小児科でのお話し相手で教えていたとか言う話だった。
実際、陳皮を見てみたのだが、カビが生え出す頃が食べ頃だと言う噂で、噛み砕いてもいい味がしない。
一度食べると苦さのあまり口がシャットダウンするので、今でも、良く喋る人、咳をする人は、見せるだけで咳をしなくなり、話すら拒む人も出てくる。
そう言う効果のある不思議な食べ物は、歴代中国の皇帝が好んで飲んでいたと言うシロモノだそうだ。
高い倍率の突破の仕方。
とにかく否定系でいこう。
コロナ禍は、人間が否定的でないために、第11波まで発症してしまった。
元々ウィールスは、人間の体を培養地として、住み込み、寄生虫のように滞在して座り込む性質を持つ。
それを拒むかのような態度を普段から取ると良い。
逆の言い方をすれば、陳皮を飲む瞬間のようなものである。
苦くって、見た目もまともなもののように見えず、気分悪くなり、大嫌いなんだけれども、飲まないと咳が止まらない。
題して良薬口に苦しである。
それを人生に例えれば、誰かが読み手でも哀れに思って救いの手を差し伸べてくれるかもしれないが、たまに、糖衣という形でも出てきてしまい、それでもいいかと思っている間に、余波が来るかもしれない。
誰か結婚しそびれた方々でもいるのかな?
早く結婚しないと、ダウン症の子が生まれてくる可能性がある。
いつまでも子供いらない、湯川秀樹のような養子がいいとか言っている間に、甲斐性がなくなれば、夢もまた千里を駆け巡って絵に描いた餅で終わろう。旦那が高学歴とか言っている暇なんかないんじゃないだろうか?新しい理論が出てきたら、古い理論の人は温故知新がなければ徐々に敗退していくわけだし。
学歴に永遠性を求める必要はないわけで。新しいものをたくさん求めればいいとか言うわけでもなさそうだ。(本の虫)
こんな私でも、日記ブログに変なこと書いたから、祇園祭の鶏鉾の車輪が外れて、ヘルマン・ヘッセの車輪の下、と、作者自害なんて思ってもいない。
生前葬儀である可能性もあるんで。
しゃりんもした、と、チャリンガボンビッシンキンと真菌の覚え歌が頭をよぎったと、まずい考え方は、今日、京都が35度と聞いて気が狂ったとか、母が風呂上がりにクーラーが効かないと逆ギレをしたとか、返り討ちに、火と喧嘩は江戸の花というが、こちらは大坂の台所なので、と、反論して黙らせたとか、苦々しい思い出と、狂った母を落ち着かせる術は、豆腐の角は何色?とか、虹色の七色は高齢のハゲ頭のおじさんが7人下から光線を出していたからと大真面目に言ったところで、江戸の大火が収まるわけではあるまい。
自粛しよう、そうすれば、陳皮のように益々カラカラと美味しくなる。
そう思って、数えで50歳の誕生日を迎えようとしている。
誕生日のプレゼントは、Lenovoのパソコンか、iPhoneか、OPPOか、アップルウォッチと考えていたのに、親がRecorder買ってあげるから吹いて欲しいなと、独りよがりなので、益々孤独の介護のグルメと化し、一人で体重が増えたのに痩せたねとか、痩せたのに体重が増えたねと言われて、全員に精神病の薬を飲ませたいと思って、頭の中で乾いたサソリの干物を思い浮かべていた。(今日のサソリ座は、テレビ占いでは1位だったのだが、東京出身の母は関西が暑いと暴れ出したので、周囲との協調性が見られなかった。でも1位)
追記:別に知名度を上げるのが陳皮のみかん星人の役目だとは思ってないが、蔦屋重三郎の考え方と一緒、鶏鉾巡行で車輪が外れて、一目置かれるようになった。こういうの一病息災というのかな?違うか。鶏鉾の注目度を上げるため、このまま鶏鉾のニュースを流していたら、好事家が投資をしてくれて、来年、鶏鉾が無事通過しましたというニュースを期待する酉年家族三人組もいるわけで。その方々によると、通りすがった鉾が、足蹴で鶏鉾を、避けたのを番組で見て思わず涙が出たとおっしゃっておられる心優しい母の従兄弟の労いの言葉だったのだが、大阪の岸和田のだんじりを知る私は、手でやると足から滑り落ちるので、あれしか方法はないんですと、京都人なので大弁護。
カマキリの手も取れて、と、西側で言うんで、七夕の時、人の心を気遣って、西から出ていった今年の商店街を思い出した。
何かしら、厄を身代わり観音のように鶏鉾とカマキリが受けたのかなとも。
そう思うと祖父が生まれて110年ほどになるが、酉年だけに鶏鉾が、今注目度を受けて、雨風になんとやらという故事を思い出した。勘官贔屓な商人根性である。
五毛神社に行った。
頭のはげたところに5本刺してくれと言うつもりで言った訳ではないが。
御朱印帳が下火でも、110歳近い祖父の趣味や収集を思えば、集めた御朱印帳もありがたく思えてくる。
一枚一枚、カルテだそうな。そういえば、そのようにも見えてくる。
陳皮があの世に行ってもありますように。
だそうだ。
日記はここで終わっている。
(そういえば、そんな事、幼稚園で書いたなぁ)
五毛神社の御朱印帳はこれ。
Cross your fingersと、ドイツのゲッチンゲン大学の総長さんに言われた通りの事をやった。鶏鉾がの車輪が外れたから。
今日は後祭山。49年ぶりらしい。49歳を来月迎える。
昭和50年生まれは、50円玉の生まれたときのことを知っているので、かなり強い。(卯年)
従姉妹に女の子が産まれた。
発表してないから、昨日から女の子じゃないかなという予感はあり。
女の子でしょ?と母にいうと、前からわかっていたみたいよ、と。
昔の出生前診断なんて言語道断と言っていたカトリックのバリバリの信者から、75歳にもなって丸くなったなと。
洗濯ばさみの四角いのどこ?とわめいている。