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ヘソで茶を沸かしながら番茶も出花

テキ屋の弱体化

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テキ屋の弱体化

アメリカにも何人かテキ屋がいたのだが、可愛いもので、屋台移動アイスクリーム屋のようなものであった。
覚えているところでは、母がしきりに行くのをやめろと言っていた割には、近所の子どもが親と行くので、少し様子見に行ったら、大体黒人の人がやっていた。
さて、25セントを肩たたき券の代金として貰うも、すぐにアイスクリーム屋さんに行っていたので、屋台の奥さんは仕事だからと、すぐにアイスクリームを出してくれたが、旦那さんのほうが、奥さんよりもウワテで、母と同じく、あまり来ないほうがいい、と言うのだが、あまりにも私の来る回数が多かったので、日本に帰ったら地震対策としてお金を貯めなきゃあかんやろ、今日は買うのをやめて、お金をセーブしときなさい、と、特注説教を引き受けてくれたので、奥さんが、そうよ、そうよ、と言って、家に返してくれた。私のこのときの英語が、豪州だと見抜いたお二人は、さぞかし高貴な家の生まれか?と、思ったら案の定そうで、旦那さんは有名な弁護士であり、奥さんは弁護士の勉強の途中で、旦那さんが奥さんのために学費補償に一緒に働きに来ていたのである。大体話すとこんな感じなのだが、私もあの時は賢く、じゃあなんでアイスクリーム売ってんの?私がここで25セント、渡したら、奥さんの費用になるじゃない?と、手渡すと、シーッと言われて、その後来なくなった。どうも、父のボスが開いていた学費免除の育英会基金の一員だったらしく、父が、生徒だと、豪州英語でバレていたようである。(どっか、サニーブライアンというハンバーガー屋で、私と父の共通の育て親の祖母が豪州育ちということがバレていたらしい。)11年後、北欧で再会したのだが、彼は顔形が変わってなく、下院議員選挙で勝って、アメリカの議員をうけもっていた。バラク・オバマである。黒人おばあちゃんの顔がテレビに出てきて初めて思い出したのである。(ダラス時代)お世話にはなっていた。

そういえば、アメリカでテキ屋をしていた知り合いは、気がつくとノーベル賞受賞式の主人公だったりして、思い出せば、1.アイスクリーム屋2.ドミノ・ピザ3.ヨーロッパの飲み屋4.コンビニの店員など。今はこの三者しか思い出せない。いわゆる副業、バイト、バックグラウンドというところであったのであろうか?

日本では、帰国してから、特に父が、テキ屋取締の役に当ったので、(衛生学的に医師の免許持ち)私が生物学で犬を可愛がるように、テキ屋を中止していった。

聞くところによると、腹痛や下痢にあたり、水疱が体中に出て、アレルギー反応をタコを食べた後でるとか、ほとんどなくなり、医師は、今日も患者が来ない、牡蠣にあたった母さんだけか?というくらいである、ハンセン氏病の博物館がノルウェーにあるとか、あまり実用生活では関係なかった。治療や環境改善が生活に密着していたので。

母は、昔、山谷で復員兵がアコーディオンを奏でる高架下のところを、聖心まで小学校の時歩いていたので、大学のバイトでは、米国兵と日本人との間の子の里親探しの、書類をまとめる仕事を手伝っていた。時々、里子を引き受けます米国兵とそのアメリカ人の奥さんに、「クーポン券ないてすか?」と英語で聞かれ、「クーポンってなに?」と祖父に聞いていたくらいである。

仕事疲れか、何かで、熱病になり、リウマチになってから、私を産んだのだが、やはり、テキ屋は芳しくないとのことで、やっぱり日本に帰ってからも、屋台にいってはあかん、と、みんなにいわれていた。

その頃、丁度テキ屋をやめたろうかおじさんも、やっぱり屋号というお店の建物を建てたほうがいいかなと、父が、それに対して、「いやぁ~。」とか言っていたのを覚えていたし、案の定建物もガッチリしていたほうが料理が美味しかったりする。

テキ屋で、ヤバいなと思う人は大学にもいた。大学の周りはアカと共産党圏の人がまだウロウロしていて、私が入学したときに、テキ屋禁止のサインが出て、乞食が大学の桜の下に居座り続けて5日間というのを目撃することが多くあり、最初、面接試験で合格した私の大学での初仕事が、そういう人たちを立ち退きさせることであったのだが、激しく抵抗されることもあり、何故か聞くと、ハゲ頭に手がかかっている、とか、いちゃもんをつけられ、しょうがなく東京大学卒の教授職の方々に、立ち退きさせる役を交代してもらい、やっと、乞食が出ていくということもあったので、全く勉強ができないという時間もあった。

今すんでいるところは、分院が真下にあるんたが、2009年、テキ屋が多すぎて、父が、神社出入り禁止という家訓を家に作ったので、全くお参りをすることがなかったのだが、昨年、テキ屋か挑発され、大声で叫ぶ男の人が連日聞こえ、うるさいので、京都に別の要件でそれが理由ではないが帰るところを神社でまたテキ屋が暴れて家と同じケースになるという、珍しいケースが起こり、あのあと、本当にお祭りも静かなものになって、衛生上、人を騙すテキ屋の存在も価値がなく、徐々になくなっていったようである。

パソコンを家で導入した1995年、2chを開けると、香具師と連発する変人にあい、意味が全くわからなかったのだが、当時私は、生物学を受講しており、香具師とのたまうやつに、「やめさせたろうか。」などと言われて、ちょうどよかった、御香を習おうと思っていたんだ、と思っていたら、「やめろ!」とか、チャットが始まって、主人公が私ではないということに気が付き、2chの人たちをそっとしておいてあげようと、それはそれは大学への用意をしずしずと始めることだった。意味が分からず、昨年中医の資格を取ったのだが、女医でも医師でもなく、中医なので、医師を揶揄する香具師はのがれられたのだが、テキ屋という面ては、善人のような顔をして会社でパソコン自体を盗んだり、パソコン壊しと化したり、客に装ってATMを壊したりする人が施設に入ってきたり、出ていったりするから、わざと会社を潰そうとするテキ屋を見て、驚いたりするものの、何かを置いたり、おまじないをしていくと、テキ屋がなくなるので、テキ屋をおいだしたら、身の回りが平和になるんだと思うことは最初に思った。テキ屋は、東京大学卒に弱い。しんみりと思った。テキ屋に強いので、頼もしくも思う。
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