603号室のチサンマンション京都に住んていた時、父は京都大学医学部医学科の京大の大学院を卒業していて、アメリカに渡り、サザンウェスタンメディカルスクールにて、後ノーベル賞を取るドクターブラウンとドクターゴールドシュタインのラボラトリーの元、国際医師免許を取る準備をして、免許を取った。
さて、4歳の時から、ずっと、アメリカに、同行していて、日本で何が行われていたのか、あまりニュースは入ってこなくって、小学校1年生をダラステキサスで読んていた。
チサンマンションに返ってくると、少し頭のおかしい連中がたくさん一乗寺にいて、理由は勉強のし過ぎで頭がおかしい人がたくさんいて、午後7:00には家の中に入っているようにと、言われたので、よなか11:00まで、外に出ることはなかった。
さて、遊んていたのは、昼頃、もう近所の国際系の小学校に入学の許可が、おりるだろうと、家の中で九九を壁紙に貼り付けて覚えていたころ、アメリカではもうすでに4歳の時から、割り算を学校でさせられていて、小学校2年生では、近所の遺伝学の大家の先生から、微分積分を教わって、細かいところはシグマとかインテグラルというものを砂地に枝の先で親に描いて教えてもらって、外国の微分積分を小学校2年生の時にチェックしてくれる白人の先生に、毎日10回ずつ砂地に描いて覚えるようにと、太い微積分の本を渡されて、ラテン語が話せるスペイン人の男の子と全部暗記して日本に帰ってきたので、それは記憶力は良かった。
いじめられるからと知らぬふりをすることもできたが、黒板に書いて下さいねと、促されたときは、暗記した微積のページを全部本を見ないで小学校4年生で書いたので、もう自由自在の算数の太い青い本はやらなくていいよと、日本史を教わっていた頃である。
近所に普通のおじさんがいたが、何でも、同居していたおばさんが、今からシャツに血糊を塗るので、手伝ってくれ、京医の子だろ、と、言われたので、制服茶色だし、と、血糊の絵の具を片手に白いシャツ全身に殺されたかのような赤い血糊を塗って、殺人鬼のように人を仕立てる裏の工作をやっていた。
アメリカでは普通の時も銃は家に保持していて、勝手に野合が違うのに、家の敷居の上を許可なく入ってくるようなやつがいたとしたら、銃で撃ち殺しても、それは、自己防衛だから、警察には逮捕されないという国際ルールがあって、何度も銃を触ったので、特別に父親が医師だからと、殺人現場に連れて行かれて、殺人鬼が、死体バラバラ事件のところを逮捕されるというシーンに入れてもらったことかあり、法学を目指せ!と、アメリカ人の警察官に、Be brave!と、星型のワッペンをもらって来たことはある。
なので、袴田事件が、逮捕者死刑というのは、私の8歳の頃の記憶では、犯罪者は、死刑という判決は降りることになっているというのは、甚だ疑問であり、あの証拠のワイシャツも私が赤や黄色茶色の絵の具で如何にも人を指したかのような模様をアメリカの本物の事件で見たかのように描いたので、犯人は殺人犯ではないと、思うんだ。ここで告白するが。
しかも、俺は犯人だというテープも、603号室で殺人なんか行われてないのに、如何にも脅迫されて、テープをでっち上げたという話はアメリカから帰ってきて、録音テープ機を私が貸してあげて、そこでマイク内装である録音機械に一人で独り言を言ったのを、私が横で見ていて、言っていたという、目撃者であったという事を、袴田事件が行われるかそうでないかと瀬戸際に、今年50歳になるので、多分犯人は別の人だよ、と、ここで行ってみたいような気もするのだ。
今日、母親と絵の具で絵をかこうかという話で、たまたま携帯を見ていたら、袴田さんが、また、再審で死刑判決受けていると、聞いたので、ニュースに対して、あんた、言っとくけど、あのシャツの血糊を塗ったのは8歳の頃の私、って、ここで白状して、袴田さん無罪放免ってことは、今、できんるかな?21:07。私、50歳なんだけれども、記憶力が抜群で、この間医師免許取ったのよね。知らない間に…。国際医師免許って、持つ前から、取るとわかっている人たちが占いで言うので、自然に覆される判決が出るのも、親子三代長子の初孫が国際医師免許取りますって、大々的に宣伝しているようなものであり、悪意持って悪用するようなことはできない。ちゃんと読んでよ、同級生!!!