表ぶって、仕事につけば、運搬会社だったが、何かと不便をいたすので、年俸、年功序列、昇進は断っていたが、カトリックでは御受難会に呼ばれたりして、美智子様によく似た表を司る修道女の女の方と、話しては、仕事に帰れば、上司に、あまり御受難会というようなものにいかないほうがいいのでは?個人情報保護というものがあってやな、と、叔父とおんなじことを言われるので、舞台の表と裏があるんだなと、感じていたことはあった。
そもそも始まりは、アフガニスタンでのタリバンの殺害で、一番偉いと言われていた向こう側のおじさんが、ネットでは顔をぐじゃぐじゃにされて、死亡しましたとニュースで書いてあるのに、灘区の護国神社の前で、その数カ月後、見たことで、不審に思ったことはあった。
折しも知り合いの知り合いが総理大臣になって、初めて、世界情勢の嘘ニュースと本当ニュースがあることを知り、19歳で東京大学に特許をもらいたいからと受けて帰りに祖母に、落ちたらお父さんたちに怒られるから、今から灘区に行く準備をしなさい、皇后様のお膝元だから、と、言われ、気持ち悪、なにくそ!と、無視していたのだが、ふと、皇后様のお膝元という言葉に反応し、昔、石川五右衛門も、捕まったあと、灘区に連れて行かれて、拷問を受けたあと、許されてかわら版では死刑にされていたが、本人は岡山の津山市に逃げたという話が、祖母の実家の忍者屋敷に残されており、嫌でも罪人と同居せざるを得ないという状況になって、はらはらしどおしであった。
この間のイランの大統領が飛行機に乗って殺されたという話で、前後してロジャーが、ケネディだったという話が、気になり、暗殺されても生き残るこの不思議な、長寿の日本で、またか、と思うニュースが多し。
北朝鮮の金正恩も、これ以上経済制裁でいじめないで、と言ってきたり、ロシアがもう攻め入りませんと、あやまりにきたり、ネタニヤフが逮捕状出たとかで、アメリカが猛反発していたというニュースの裏で、私は北朝鮮と、イランにものを送れませんという郵便局ネットショップから、お母さんに母の日のお金を出して、買ってあげたり、25時間耐性youtubeで、思いっきり今思っている悪口を英語で3時間話していたり、キャンベルスープの広告の刺繍をしたり、50にもなってイライラを抑肝散なしに、どうやって過ごすか参っていた。
親もおんなじ気分で車がなく、イライラしていて、八つ当たりを窓を開けて大声で話していると、朝から壊れていたマイクが復活したり、ネットの中継がうまくできたり、それは、気分が良いと思われ。
1995年、大学に入った時に、心理学の授業を、受けましたと、女性の講師の先生にいったあと、さぁ、ここで、思いっきりウサを晴らしなさい、あとで、なにか思わぬことを口にして、うっかりすることもないように、と、設けてくださった吐き出し部屋で、特にありませんと、単位を28個もとって、ホクホクしている私に、先生たちは不思議そうにしていたが、裏では、外国旅行が当たったりと、それは、運が良かったのか、普段の行いが良かったのか、特に何か、ムカつくことはなかったというか、向こうが、勝手に折れてくれると、父に相談したり。
後で、医学部医学科の先生や理学部の先生や世界の独裁者ってなんで、あんなに、ムカムカしていることを吐き出させる良い部屋なんて作るんだろうなどと、時間の無駄について話し合ったが、父が言うには、お腹が満たされているんではないか?何食った?その前に?と、聞かされ、ピザと答えると、ほな、イタリア行きますか?と、二人で飯の世界に入っていったのを覚えている。
兎に角犯罪者は生きている。
それだけ。
マイクロソフトを買って早く京都に帰りたい。