2024年、かなり遅かったが、自分のレベルが上がっていると感じるのも同時だったという。
たまたま、ピアノを10年ぶりに弾こうと思って、蓋を開けた。
弾いてみたのだが、指が踊らず、あれーってな感じで、10年前の教わった方が相当上手い方だったと思われ。
コルトーや、ブーニンを聞いてみたが、全くそのレベルに及ばず、あかんわで、練習にのめり込んだ。
SNSに載っけたところ、anoymousの時代から仲良かったお友達に、体は楽器だから即調整、調律せよ、と、忠告を受け、やばいっす、交響楽団の騒音障害かと、デシヘルにきつけながら、弾いていた。耳コピは、重音障害になった耳でも健全で、バッチリと思ったのは、3時間後、その交響曲が、YouTubeで、+1の著作権法に触れたという瞬間をサインで見た時である。
いわゆる法を逆手に取ったという感じだろうか?
私、稼げると、瞬間に自負の念が生まれた。調律師が抜群にうまかったと見え、ずっと見ていた私も、なにいじってんですか?と、手をのぞいたところ、スマホが。
最先端と思ったのだが、生まれて初めて3時間で著作権に触れるほど上達していたことに気がつかず、ピアノをやめたのも、もう名前が売れている頃だろうと、不労収入にホクホクしていたものだったんだが。
弾いてんのは私、著作権に触れてないのは、作曲した曲を弾いていた時のみで、交響曲の間に、ドラクエを入れたら、なんかスムーズに弾けて、翌日鳥山明が死んだとかで。著作権で人殺せるんだと、初めて知った時は、保険の何が効くんだろうと、自問自答していた。
作曲というのは、絶対にできないということはない。指紋と一緒で、ここに作曲したものが別の土地で同一なんてことは、ほとんどないわけで、一回試してみるといいが、ピアノだけというのは、絶対性がないので、避けたほうがいいかもというのか、アドバイスだったりする。
さて、+1というのは、厳しい。異論がある人は、唱えろと書いてあるが、特に+1があかんというわけではない、と思えるのが今の所の私の遺憾所感である。
ていうか、コルトーとブーニンと、韓国人のとある有名なピアノ弾きで、混ぜて弾きましたと、言いながら、ピアノを弾いていた時は、月謝を払っていたので、著作権+1を避けられたという現金な話であっただけのみの話。
ていうか、私って上手い?ということでピアノは終わった。
無料で+1というのは、最高の名誉である。
この+1を生かすのも殺すのも弾いている本人だが、他人を+1で殺せるのは生まれて初めて知った。
音楽は凶器だと思ったが、三回までとかで、東大の文系理系が三個まであるのも、著作権に触れてない回答かどうかを見るのが審査員で、頭が上がらない。第4次試験まで儲けてくださったのだから。今から思うと、小学校のお友達方に、おてつきを習ったあたりから強力な力や権威になっているわけだが、わかってない人あたりは、+1無料で著作権違反を取ってみるといい。私みたいに東京大学受けて、吠えたあたりの理由が多分自分が感じた時にわかるだろうと思われ、年の人にはもう遅いかな?老けてるし。