この間から、掲示板に貼ってあるポスターの指名手配犯が、後ろから3人捕まっている。
私が二人見たのは、いつだったか、仕事中に「そうだ、筑波へ行こう。」と思い、行った帰り道の時、日光東照宮で2人見て、ipodを鳴らしたら、いきなりダメ言葉がなくなり、静かになったということ、もう一つは筑波の空港で、1人見て、その人をまた、伊勢神宮で見たのである。
警察に鳴らすより、SPの方が連絡が早い。
カトリックなので、黙っていたら、勝手に捕まる。
警察がこの調子で頑張ってください、と、エールを鳴らした。
さて、理学部より偉いやつは医学部と両親は勝手に思っているが、海軍は陸軍と法律が違うので、墓穴を掘った犯人が皆投降する。
船長は船医より上である。
陸軍があんななのに、今の受験戦争の偏差値は戦前のままなので、この通りである。
米国に3年半いた方が、この国で生きていく上で必要最低限であるようにも思える。
この間、京都に一人で行ったのだが、思いがけず同級生の女子に会い、勘違いされた。
父に男遊びしているところを偶然男と見たと言ったそうであるが、あまり信憑性がない。
男遊びといえば、私の範囲内では、そこら辺の結婚した後、男遊びをいくらでもできるじゃない、と、興味をそそった嫁の母親の言葉はそうだろうかなと、あまり感心せず、結婚式にも親戚が行った通りまず先頭だっていかなかった。
それが功を奏した。今、指名手配犯が、続々と捕まっている。
子宮から胎盤を剥がさないで、太っているかつての水商売の女の人が娘に対してあれやからやと言っても、あまり実感がないのと一緒で、あの時、京都は一人で行った時に、京都バスの中で泣き喚く赤子をあやせない女子が一人、男が途中から乗ってきて、うるさくならなかったのは、男なのにラベンダーのエッセンシャルオイルをもっていたのか、否か。
座っていたところを、偶然父の娘が独身だということに気がついた地方の方々、赤子の声を聞いてうるさいと思ったのは一番医師の独身の娘だろうと、席を譲っても、「いいのよ。」とおっしゃって、同情していただいたのだが、もうちょっと押せばよかったと思いつつ。
京都へ帰ると、6km山の方へ歩いて行った際に、トマト売りのお兄さんが日干しをしていたところを見て、「儲かるのか?」と、余計なお世話をしたり、アニキがたくさん走るロードレースのようなマラソンの道を「男臭い。」と、くるりと背を向けて帰って行ったくらいが、私の男遊びの結論だっだと思うんだが。
女性週刊誌の編集長がたくさん歩いているような今日、ふらふらと立ち寄った鷺森神社の出車が川原でへぼくって、文句をつけたところ、ヤクザがちらりちらりと左京区を歩き出したので、iPhoneをつけて、窓の外に動画サイトに載せるために動画を撮って、その後、妊娠しているかのように見える体つきで、半夏瀉心湯を飲んだら、虚栄心たっぷりな男が、悪戯していた工事現場の足組から、棒を叩いて工事の邪魔しようとしていたのを、覆面パトカーが現場を押さえて、捕えて立ち去った。
奇妙なアジア人達による国籍だけ日本人で、外国人であることを隠せない人たちからの隠れた朗報で、指名手配犯が、捕まっている。
これも、猫をかぶっている一番悪い北朝鮮徴工兵の長女を結婚式に出ず、田舎の本籍に名前を載せただけで、飛んで火に入る夏の虫のように、次から次へと罪が暴かれ、私は震えるほどそれを見ていて楽しんでいた。
鬼平犯科帳は面白い。父も私も眠狂四郎というあだ名がついていたのに気がつかなかったくらいで、そっと背中に貼った「バーカ」というセロハンテープで貼った紙をつけたまま世の中を闊歩していたのは、三代にわたる諸事情で、それはそれで名誉ある子孫だと思ったら、諸外国で悪さを見てきた上の人から、よく北朝鮮徴工兵のお守りをした、と、何度か賞状を父がもらっている。私は卒業証書だけ。父みたいに貰いたい。
今の人たちは昔と同様、寝返りが一番怖いらしいのよね。
何人か候補はいるんだけれども…、5人くらいかな…。
「バーカ」の紙は、途中でSPが見つけてくれて知らない間に剥がしてくれていたのか、風で吹かれて飛んでいったのか、頓挫しておしまいである。
物語の続きを書けなくって、申し訳がないが。
そういえば、似たような話に、やはり総長の娘を経験した祖母に言うと、阪大総長さんの息子さんが、価格の下落にハマって、経済学的に自分の価値はいくらくらいかと、従姉妹と話しているのを偶然聞いたらしく、悪い虫がつかないようにと、0円くらいと言っとけ、と、説教を喰らっていた。
物価の上昇の前、通帳が桁違いに2の数字で並べてあるものをとある子に見せてもらったのだが、その子が18歳の時、背中に20円の値札をつけられて悔しいから取ってくれと言われて、医師の家庭なので取ってあげたが、おかげさまで、医師の免許もどきをとり、その後、42歳くらいになったとき、新入社員として入ってきた背中に360円という値札が貼られており、また取ってくれ、と言われたので、カメラを用意した。
違いますよと言われて初めて気がついたのだが、狂ったように喜んで取ってあげただけでなく、360÷18=20と、一人で計算した挙句、背がでっかくなったな、物差しで測ってやろうか?と言ったその日から、次の総理大臣である人に怒られて、物価も同様に上昇したので、それは不思議なことであった。熱い人である。物価上昇…。
父方の従姉妹は、当時誘拐が多かった町中で、上の人から手を握れと言われても、絶対に握ってはいけないよ、さもなくば連れて行かれるからね、と、習ったらしく、本当に、手を握れと言われた時は、「アーメン」といって、両手を組み合わせて握ったそうである。
手を握れという一言は、昭和50年代の犯罪者がよく使う手段の一つだったらしい。
アメリカにいたのでわからぬ。