サードパーティや、フリーメンソン、第三者が、同性愛を認めろとか、言ってきたり、戦争を起こしてやるとか目論んだり、男性だから色々とあるのだが、よく考えたら、今の日本、西国三十三所や四国八十八ヶ所や、神道を信じる別の巡礼団体が、カトリック教会に日曜日御ミサに預かる非日常的な束縛のない世の中になってきているので、生物的に、生理的に受け付けないカスハラや、同性愛認めろ作戦など、宗教のトップや医学界が認めろと言っても、気持ち悪くて、同意できないというのが、多分現れたんじゃないかと思う。
教皇様は子供を持つことが、公式には認められてないので、同意した時点で、理論からいいよと言っている割には、童貞なんだな、と、頭の中で一時期よぎるものの、日本の国が2600年以上も続く皇室がある時点で、同性愛を認めないと、女の人も言い出すようになったら、日本の皇族の掟と、旧約聖書のレビ記に書いてある同性愛を認めないという記述はあっており、結果論で2600年も子孫と国が続いた結果、厳島神社にある、ヒエログリフはもしかすると旧約聖書の一部かもしれないと今でも思う。
看護師がレポートの結論がかけないとか、アフリカの女の子たちが、結婚に同性愛を認めてほしいとか、人間の普遍性を逆行する動きが出ていることは、女性は攻撃性がないが、あとから妊娠能力が失われる、または、男性は同性愛を、認めることによって、生まれるという実りある実生活を得られなくなるから、攻撃的な能力がではじめるようになり、男女逆転現象が起こって、男性も女性も結婚しなくなり、少子化も生み出して、国民全体の能力が落ちてくるようになるのは、多分女性が能力を持ち始めたからなのではないかと、女性の平和、女性の主義、女性の議会というギリシアの時代の本を思い出す。
なので、舐めていいのは、同性愛を認めろという、日本に反発心を植えて、政府を覆そうとする、工作員の思惑を踏みにじって、無視した人たちの思惑であるが、かえって必要もなければそういう人たちは最初からこの世にいないと思って過ごしていったほうが、人間の普遍を身につけることができると思われる。
世論調査は単なるアマガサにすぎないが、カッパはとても強く、敵対している人から貸してと言われても、1人一着なので、逆にかせないという個人攻撃が出来るうえに、自らの防御ともなるので、非暴力不服従にもなりうるので、かっぱが好きな人は持っている。
あと、何を書こうと思ったのかな。