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ヘソで茶を沸かしながら番茶も出花

給与として得たお金

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給与として得たお金

2014年に職業訓練所に初めて行ったとき、クレジットカードが職業訓練所の名前でも作れると初めて聞いて、手始めにイオンのデビットカードを申し込んだ。
3ヶ月しか通ってないのに、もう仕事の内定が入っていて、訓練生として3ヶ月働いたのだが、資格を得て、訳ありなのに保険に入れて、すぐに帯状疱疹になって職場を退職した。
続けて職業訓練所に戻り、2年間の無料で受けれる職業訓練所の授業を全部ほとんど受けて、お稽古の教授職を手に入れて、卒業して、自営業と思ったところへ2度目の内定が来た。
2015年に何をやっていたのか、ただ、コンピューターの資格だけは完璧にしようと、黙々と通っていたので、2016年に内定をいただいた時には、電話の相手の方の声が、自営業の届け出をした時に、最後のまとめを行ってくださった税務署の方と同じ人の声だったような気は初めてした。

さて、まだ、時給が910円だった時の頃の話である。クレジットカードの使い方は自分の物欲のセーブの仕方を知っていたので、後は、ちょっとお小遣い程度に収入が入っていれば、完璧と、投資の勉強をしていたのだが、当時の日経平均は11000円〜16000円を前後していたので、確か、経験値が多い上司の方々に、どうやって日経平均を上げるのか聞いて回っていた。1964年頃、子どもだったという方々は、株価が36000円、ドル円が360円をご存知だったので、聞いてくださった方は、まず、社員の出席率を上げて、出席した日を残す自動回転プログラムを作ってくれと、京都自動車教習所の生徒の管理の事を頼まれたプログラム制作とおんなじことを頼まれたので、口から泡を吹きながらアルゴリズムを組んでいった。1992年に100万円でパソコンを購入していた叔父と京都のは作っていたので、一人でできるもん、というわけには行かない。やり方を覚えていなかったからだ。ただ、近所には叔父が京都大学医学部医学科で習っていたパソコンのコーチが、下町で開業していたので、見つけて恐れ入って、習いに行っていたのである。

さて、全部終わったという頃、上司が全員栄転した。おひとかたは、作ったプログラム、持っていきますね、と、おっしゃってくださって、大変ありがたい。

次にやることは、丁度、いただいたお給料が、年間98万円を超えたので、投資信託と株に挑戦。気がついたら、仕事でお給与を得ながらの投資だったので、初めて株価が20000円台を突破したのである。

昔、祖父が戦後やはり同じように会社をもう一度奮い立って一から立て直したので、背中を見て、育ってきた私は、何もマニュアルがなくっても、大体やり方は覚えていたので、株や投資信託の漫画や、周知の印刷物を見ても、「あっ、昨日やった手法だ。」と、特に目新しいものもなかったので、巻末の漫画を読むのを楽しみにそれだけだった。

会社の方でも、労働組合のお食事などに参加すると、自然に会社でも株を作って上場させようかという話が持ち上がったので、面白そうと新規上場という現場で仕事でもがいていたように思う。

2年目は年間108万円×2=216万円。貯金したら、複利がつくかなと、3333円ずつ貯金。投資も同じかなと3333円ずつ積立ていった。

まだ、金利上昇の外国のニュースがなかった頃である。黒田総裁のバズーカ砲が流行語だった。

しばらくすると、少し出世したので、自社株買いを自腹でしたのだが、思わぬ配当金が入ってきたのと同時にボーナスがなかった年でもあった。コロナ禍で、頭の熱が下がらず、呼吸困難に陥り、サプリと、薬を同時に飲んで、吐いて、全身関節がこわばるようになったからである。その頃流行だったワクチンを母が、普段の様子がおかしいから、絶対にうつのをやめなさいと言われ、ぎっくり腰がますます治らず、病院では先生に入院したいと激しく訴えた。

さて、出世したのに、5ヶ月で退社したのは、たまたまであるが、確定拠出年金と、国民年金と、国民年金基金と、保険と、投資信託と、株が、残っていたので、体調が悪かっただけで、ハローワークの人にも、失業保険をいただくのは伸ばしたいと、申請し、黒田総裁がおやめになられたと同時に株も全部売った。

300万円に、26万円利益があったように思える。26万円はそのまま会社の貯金においておいた。

1月1日に、全部売ったのだが、同時に翌年、金沢大震災があったので、すぐに売るのは、かなり危ないと直感で感じたので、年108万円×5=540万円いただいた給与をもとに、株を再度発信。

今日、祖父の会社の配当があったのだが、やはり、ぼちぼち当ったので、母校の寄付金と、国際寄付金と、教会の献金と、今月の生活費に充てようと思ったのだが、先月、ものすごく節約したので、8月4000円で生活していたようである。

なので、このまま、貯金したほうがいいのかなと、三井にMRFから落とした。


祖父の自著伝みたいな自分の武勇伝を割と小さい頃から聞いていたが、なんとはなしに、大阪万博があった頃、祖父は配当を貯金に回し始めたとか言っていたように覚えていたので、今度、大阪万博があるから、自然に私も貯金しようという行動を起こしている。

同時に自分がニッセイの社員であることになんかとてつもない名誉を感じた。

父の影響であるが。

他のトレーダーのような、何を株主優待でもらって、なにをなんぼ貰ったかは、あまりうまくかけないが、歴史に以前何があって、祖父が何をしたかを、おもむくまま、書けると思う(p_-)
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