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ヘソで茶を沸かしながら番茶も出花

聞いた話による日本史

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聞いた話による日本史

聞いた話による日本史(蔦屋重三郎)

(専攻は理学部、文学部のパンキョーのレポートでは大変お世話になっております。開高健とか、開高健とか、開高健とかm(_ _)m、高一、高二、高三では、日本史選択できませんでした。化学と世界史が裏表の時間割の学校だったんで)

1.死因 脚気:今年数えで49歳(年48歳)なので、祖父が気にして家系図(養子、捨てた子の家の前の表札をことごとく記したか、記憶していた、とか、戦争孤児を48人くらい集めて育ての親、生みの親に録音レコーダーで、声を送っていた、社員とか?)を未来先読みで見せてくれたとか。脚気で死んだなんてカッケーっていう言葉が、大和和紀のにしむく士か、どっかに載っていた。

父方は、織田信長の死亡時刻に震え上がっていた医師の父を49歳の時見ていたが、オーバーカムしたようで、今怖いものがないので、老害(死語)だけ心配している。脚気で死んだと噂されるマルチ商法の蔦屋重三郎の方が長生きするかなと母方の方に大学受験上京したが、元手が我が家だったので、芸能人にならなければ、家系図通り100歳まで生きると確信したので、ペンネームだけ許されてネット生活を送っていた。4×9=36(女の大厄)ではないらしい。顔出し、名前載せだけは、やめて下さいが、いつもの常套手段セリフ。

2.おじいさん、ペン屋。私の聞いた話では、蔦屋重三郎の話は一回しか出てきておらず、マルチ商法の忍者のような話で、鳶職をやっていたと聞いてから、東京の江戸祭りでは花形鳶職を、松下幸之助とやっていたとかいう話をスイミングスクール用の子供用丸いプールで聞いていた。

3.本家の和だけの先生かもしれないが、たまたま、お能芸をやっていた政治経済の、ケイタというあだ名の京大卒の先生から、黙って丸い円の書いた文を渡され、和だけ、と気がついたのは、蔦屋重三郎が100歳まで生きたという話を知っているのはあんただけという暗号札を渡された時から、死んだ芸能人に対して疑問を持っていた。(文学部卒)

4.生前葬儀を知ったのは、内定が決まった就職先で、保険を売る仕事を手伝っていた時のこと。死んだことで、人気度を測れるとか、大売り出しをしていた。

5.大塩平八郎の乱とか、松平家の話とか、井伊直弼の事とか、みんな戦争を起こさずして、反乱ばかり起こして米騒動で鎮火している世代に、江戸の花形は戦争が200年もなかった庶民を見たような気がした。

6.やたら、高学歴は、結婚の肩書きにすぎない話をしだしていたので、少子化と晩婚化が流行した。

7.大阪は天下の台所、火事と喧嘩は江戸の華、町中にて鼠火りうせい(流星)その外花火の類仕間敷事但川口にては格別の事、ばかり祖父母が言うので、食うだけが楽しみの50歳を迎えようと大阪に出向いただけのこと。

8.食い物専攻の学部学科があったので、入ったら迷い込んで、食い過ぎで寄生虫に罹り、気が狂っただけのこと。

9.太った。

10.薬大事かな?と、学んで、学部を後にしたが、お金だけは余ったので、蔦屋重三郎は、ペンネーム、生まれ故郷、生まれた年、やった事業、全てが台本通りの人生だったんではないかと。噂ではオイディプスの演技もやったらしく、ニューヨークへ行ったという記載書が本当に残っているらしく、ニューヨークへ行きたいか?という番組のみなもとになったとかどうかは知らない。屋号西村さんにはいつも感謝している。(なぜ西村さんなのかはよくわからないが、100歳まで長生きして下さいねというのは、当たっているかな?)

11.住んでいるところが篠原。摩耶山天上寺の歴代天皇の皇后陛下の御陵地のもと、死人には格別の恩赦を賜るということで、1995年から約束の地で生きていた。死んだはずだよおとみさんのような罪人が普通の顔して生活しているので、なんとも思わない。キリスト教の許す精神が生きているのかと。織田信長と、蔦屋重三郎の話以外では、荒木村重、高山右近が、和田惟長を追放して、高槻城を乗っ取ったあたりからいまだに進展しておらず、カトリック聖人にしたいという話から、和田の子孫が推薦したら受かる形式かなと悩んで過ごしている。いっそ、↑大河ドラマにするのはどうか?知名度が上がって、台湾とか韓国、中国から助太刀が来るかも。(お茶の席は難しい)
12.祖父の名台詞といえば、生まれてきた子の臍の緒がS字型だと、「なに?生まれてきた子の臍の緒がS字型欠損だと?」とかいうセリフだったような。臍の緒に寄生虫が滞ると、そこの母親の体の部分だけS字型欠損になるとかで、今更と思うんだが、孫の私は、「母親と子供の間の臍の緒がS字型なんて、どうでもええやん。」と思うほどだったので、医学に目覚めるまで42年ほどかかったくらいだろうか?
また、あるいは、結腸が脱腸して切り取ったことがあることから、父方の祖父に医師だったんだが、「おまえ、結腸が欠損しておるぞ。」と言われるまで気がつかなかったくらいで、腸には超弱いというか、なんで私こんなこと書かなきゃならないんだ?
教科書丸暗記をやめようかなと思う出来事は、両方合体して、新しい名前S字結腸という言葉がイヤーノートに出来たくらいで、そんなことのために医学を覚えてどうしよう、勘で入学して外科医になる新しい医学部医学科制度でも出来たら未来入ろうかなと思うくらいで、後は教授たちに出す給与を自営業から出すくらいかな。
テトラ型のスマホ立てを1000円で売り出すだけの理学部だけと思われるのも癪なので、返って、寝ようと思っている。豪ドル安く、ドルも徐々に安くなってきているし。満ち潮みたいな学歴だな…。
13.蔦屋重三郎は、午年だったという話を聞いたことがあるが、大体人間のような哺乳類は、盲腸が短く、馬や牛、うさぎ、つまり、うのつくものは、盲腸が長いと、父が獣医の医師の祖父に聞いたことがある。
話し手だったようなことも聞いたことがあるのは、父方の実家が、うまい、歌い手だったようで、ブンヤで、ペン立ての母方の祖父とはまた色が違う。地方分業でもしていたんだろうか?
4歳の頃、4歳児がダメだと言われていたのは、うさちゃん人形の盲腸を切っちゃだめ、と激しく独身の医師の叔父にせめよった為、じゃあ、他のものはいいんかい?委員会にいうぞ、と、対応されていた時のこと、それもダメと、泣きついた挙句、じゃあ少しだけ残してあげる、と、二重結紮の盲腸切りを教わって、遠い親戚から、悪い医者と罵られた過去があるからだ。
なんでも、立つ時のバランスが悪くなるからとかいう話で、これは、明治生まれの祖父から聞いたことが後で、反射神経のもと、勝つわけなのだが、泣いていた時に、しっかりと、うさちゃん人形を抱いていた時、盲腸らへんを抑えていたとかいう話で、俺だ、と、思わせた叔父たちは、医師として、老後の今、大活躍している。

富士フィルムのおじさんに話してあげようかな。

14.一冊の本が私の恋愛観を変えた
題して、曽根崎心中
あれだけ、センター試験後、自爆しようと、第一次試験を東京大学に出したところ、145点の中にベビーブーム3世代であるのにも関わらず、なんとか自分自身を受験者数の中に潜り込ませることに成功したのだが、合格通知の封筒を白金台のエレベーターの中で開封して7階で、開いたら合格しました、おめでとう、と書いてあったのを見て、前後で激しく蔦屋重三郎のようになりたい、と願っていたのに、あんまり冬が寒すぎて、蛍光の功には至らなかった。蔦屋重三郎も、夏生まれだと見えて、受験戦争には向かない。
と、たらたらと、講釈を余白に垂れていたら、D日程を作って差し上げますという通知が迷い込んできた。

それほど私を必要としているのか、自分、復活の兆し、と。まぁ、講師は教室に生徒が集まらなければ、人気がないと、首を切られて地方専念とは、夏目漱石も激しく泣いたそうで。今は3.0の倍率になって、受験者の答案をそれは丁寧に見て差し上げますに方針が変わったようで、数年の歴史の苦労が報われる。何も、少子化と晩婚化と、わざわざ松蔭女子大学の近くまで引っ越してきました、蔦屋重三郎を調べたくって、と、書かなくても良さそう。明大前のおばあちゃんが、三淵嘉子のファンのひいおばあちゃんだったりするのかもしれないとか。
話はそれたが、一つ癪に触るのが、東京大学に行くのは、男漁りのためか?と、祖母に疑われたということである。安田講堂事件のことを行っているのだと思われたが。

それはない、と、賞味期限の切れた鰆の味噌漬けをこれまた、賞味期限が切れた柚子で、塩抜きしていた東京の生活の頃、「触らないで、腐ってる!」と、食品衛生科のある大学ないかなと、医学部医学科を通り越して、衣食足りて礼節を知るを願っていたのも同時刻。
勉強より飯を学びたいと、大阪の大学に入ったところ、コンビニの列は、男の料理の本を持った医学部医学科入学者の男の子達がわざわざお金を払って買いに行く姿を見て、「嫁をもらえよ。」と、家庭科の先生にもなれば?と、冷めた目で世間に動かされる流行を追っては、ここにも蔦屋重三郎と、てんてんとコンビニや本屋を回って、アルバイトで帳簿もつけていた。

さて、勉強もしていた。なんでしているの?と、嫁用のお嬢様学校に本当に行った子から、言われたが、些細な出来事で、出費がかさんで、お財布事情で、勉強したらその辺の文具や食品、生活必需品が、値切れると思って、と、大阪人の気質を自然に学んで行った時のこと。

それは先輩達の力量によるもので。言われるがままにいっちゃ、値切れるという。
毎日が大吉だった。
出世払いとは聞かなくても、もう出世してるじゃんという大阪のおばちゃんもいれば、もうちょっと勉強してみないかい?と、古典への誘いという講義に誘ってくれたよその大学のおじさん。

言われるがままに文学部のパンキョーに行ったが、古典とは、難しい。

まず岩波文庫の文語体が何言っているのか分からぬ。

久しぶりに明解漢和辞典をひらいた。
金田一春彦、なんとか、金田一京助とか。

中身は曽根崎心中の話だったが、昔は川崎心中といったそうで。

江戸時代の死人の話にのめり込んでいった。

殺しとか、殺人とか、心中、とか、水死とか、再試で医学部医学科いかないか?と言っていたおじ達の口を閉じさせたのは、綿で、首を締めて殺した真綿事件の話をした時のこと。死亡解剖は、本を読んで学んでいるそうで、医学部医学科、行かなくてもいいかも、あっ、赤だけには気をつけてと、返り血の話を聞いて帰りたくなった。

蔦屋重三郎の目が、斜視とか、ちゃんと事件をみてんのか?とか、昔の観察眼に疑心暗鬼になりながら読み進めていったが、ちゃんと歴史は物語っているようで、昔の塚原卜伝や、緒方洪庵、小石川療養所の小川笙船、杉田玄白、青木昆陽とか、実筆カルテを残しているのを見て、蔦屋重三郎が、瓦版のポンチ絵にしたり、プロマイドを書いていたりと、絵描きは雑学を得るのに十分勉強が必要であるとは学んだところ。

余白に、曽根崎心中の二人がなぜ、住所不定なのに、歌舞伎役者の息子と女中の娘と分かったのか?、マイナンバーカードは死人特定に必要なんでは?アップルウォッチは、死ぬ寸前までの脈を計測して、死に方がわかったとか、頭の中をよぎったが、軽い話、心中した二人を手足バラバラにして、桶の中に突っ込んだのを、また、町医者が、ジグゾーパズルのように組み合わせて、陰部の近くに縫い合わせた後があるから、男の方は、体の調子が治ったところで、また、アルコホーリックに酒を飲み、飲んだ体で女とやって、心理的に行くところまで行ったので、五臓六腑がひっくり返って、死んだんだろうという医師側からの検死の慰み者になりたくないと、深読みをして、レポート欄には、読み終えたら、蔦屋重三郎のことでも調べたいと言ったのは頭の中に新しい。

恋人で子供ができなくって、遺伝子検査をしたら、両方とも双子のかたわれだったという、親側の不貞が働いての子孫の徐々なる自然淘汰に、子供の数がどんどん減っていったら、生徒のいない大学に再入学しようと、曽根崎心中の本を図書館に返して、講義室を後にしたのは、後々こんな世の中になるかなと予測しただけの出来事であった。

蔦屋重三郎はペンネームだと思うんだが、みなどないかな?


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